声溜め

ずっとぼ~っと考えていたことを書いていきます

批判

 

批判とは辞書によれば、

 

1 物事に検討を加えて、判定・評価すること。「事の適否を批判する」「批判力を養う」
2 人の言動・仕事などの誤りや欠点を指摘し、正すべきであるとして論じること。「周囲の批判を受ける」「政府を批判する」
3 哲学で、認識・学説の基盤を原理的に研究し、その成立する条件などを明らかにすること。

出典:批判(ヒハン)とは - コトバンク

 

とある。

私が思っていた意味は2に近い。近いというのは少し違っているからだ。

 

例えば一般的に正しいとされることに対しても、私は”批判”をしがちでる。ということで、今回のテーマを批判にしたのだが、どうやら辞書にその”批判”の意味はなかった。

 

私の視点、価値観に基づいているのだから、批判するで正しいのだろうか。世間ではそれを、ワガママとか、悪口と言うのではないだろうか。今まで本も大して読まず、日本語は通じれば良いと思っていたつけがここで痛く響いている。少しずつ語彙を増やしていきたい。

 

ここでは、戒めの気持ちもこめて、ワガママでいこう。

私のワガママというのは、様々な場面において出てくる。直接口に出すことも行動に出すこともないが、私のワガママは間違っているとも思っていないし、私のようになればとも思っている節がある。それほど強くは思っていないが、どうして私と同じように考えないのか?と思うことはある。

 

例えば、自然についての私の考え方は次のような感じである。

自然は何も手の加えられていない状態。だから手入れのされた花壇や、住みやすくなっているキャンプ場は自然ではない。何を手に加えられていない状態が本当の自然だ。だから、あなたたちの美しいという見せ物用の自然を美しいというは、何かおかしくないか?

と、まぁこんな気持ちを持ってしまうわけです。これを思うこと自体は悪ではないと思うし、面白い考えだね、と言ってくれる人はいるだろう。

 

だが、これを押し付けようとした瞬間やはりただのワガママだろうし、悪というか害になる。

 

こういうことを書こうと思っていた。ただ、やっぱりこれじゃあ、ただの悪口というか、自分の思考を硬直化させるだけで、「自分は幼いです」とオブラートに包んで表現してるだけになってしまう。こうして書かないと自分は自分自身を振り返らないのかなと書きながら思った。

 

ただ、書き方を変えれば良いのかな、と思ったのが今の結論である。書き方1つではワガママになる。

 

「俺が正しい、だってこうでこうなんだ、だから俺に従え」という内容になってしまってはワガママで終わる。

それを、「世の中はこうです。ですが、こう考える人もいるし、私個人はこうも考えます。どうなるかは分かりませんが、私の考える通りになると面白いですね。(締めに一捻り入った皮肉)」といった感じにすると、だいぶマシになると思う。というか、大人の会話って確かこんな感じだった気がする。確か私も大人なのだが。

 

という訳で、完全に好き勝手に書くのではなく、内容は、より読者を意識していきたいと思った。

 

こう思ったのも、ここ数日でもこのブログを見てくださる方がいるからだ。1人でいいから読者が欲しいと思っていたが、有難いことになってくださる方がいた。それが書き方を変えようと思うきっかけにもなっている。

 

なんだかんだ他の人に見られる、認められることは、気持ちがいいことなのだと改めて思った。読んでくださっている皆様ありがとうございます。

 

とは言っても思ったことを書きたいとも思っております。

書きたいことを書いているのに、それが単なるワガママだとか悪口にならず、単に1つの記事として成立するよう努力していきたいと思います。

何卒、よろしくお願いします。