事実
タイトルに悩んだがこのタイトルでいこう。
昨日東京から帰ってきた。それなりに充実してたのだろうか。実家にいる一日程度の満足感はあった。
そうそう、これは今通勤中にスマホから書いている。通勤中に書ききれるか、何文字打てるかのテストも兼ねている。
さて、東京に行って先に良かったことから書いていこうか。
これが明確に良いことなのか分からないが、やはり寂しいという感情を思い出せた。いや、思い出さされたの方が正しいかもしれない。
思い出さないようにしているのか、本当に薄い感情なのか分からない。けれども、一応条件はある程度あって、今回はそれに当てはまったのかもしれない。だからこそ、こうして戻ってきた今、特にその感情は無い。
普段、誰かと会おうと思うことはほとんどない。東京で会うのは、次気軽に会えないのか。もしかしたらもう会わないのか、と思うと少し寂しいと思った。それはそれで仕方ないと思うし、その会わなくなった時間が彼らにとってより幸せな時間につながってくれたらと思う。
駅で書くのはネットカフェで書くよりやや恥ずかしいようだ。10分強に一本しか通らない田舎駅であり、電車が行ったすぐに待っていたのだが、少しずつ人が集まってきた。こんな記事を書いているのを生の人間に見られるのは恥ずかしい。それでも書くのだが。
さて、先日bさんに会ってきた。彼氏とaさんとわたし合わせて4人だ。英語がスマホからでは打ちにくいので、美さんとする。美しかったし。
結論から言えば私はなんて言えばいいだろう。甘い言い方しても人間に向いてない。昨日はとても自分勝手だったと思う。
一応ホストか私だし、それなりに仕切ったりなど最低限でも形でもすべきだった。できないこともなかった。
ただ、本性が出たか、その場では彼の方が場をまとめるのが上手いので、ほとんど彼に頼っていた。
もっともタチが悪いのは、会話の途中で無言になった際、誰が話題を切り出すかな、なんて思ってしまう時がある。多分この一言で読者を失う気がするが、残念ながらそうやってその場を楽しもうともしてしまう。
なんとなくその場をつなぐ一言を言うこともできたが、みんながどんな風に何をどのタイミングで話すのか、そんなことをいちいち楽しんでしまう。本当に申し訳ないなと思いつつ、少なくとも美さんはもっといい人と結ばれて幸せになって欲しいと途中から思いもうその後は、そう祈る半分楽しむ半分だった。
今回のことから分かったのは、自分にはやっぱり誰かといたいという欲求が希薄であるはということ。
個人個人は自分の好きなように行動すべきだと思う。だから、自分と一緒にいるよりも楽しいことごあるなら、それを優先すべきだと思う。いや、自分自身がそうなので、単に主張を押し付けているだけなのかもしれないが。
今回美さんとの出会いを逃したのは残念だったのだろうか。ただ、あんなに綺麗な人だからそもそも自分が好意を抱いても駄目だったかもしれないし、自分の熱意が足りずに逃したのかもしれない。ただ、どちらにせよ後悔という気持ちは薄い。
そんかことより、aさんの話を聞いてる方がやっぱり面白かったし可愛らしかった。そのお友達を見れただけで十分だった。というのが率直な感想ではないだろうか。なんと自分勝手なんだろう。ただ、本当にそう思うなら文書にする前に行動を改善すべきなんだろうな。
先にも書いたが、私自身が自分勝手であり、それ故相手にも自分勝手をむしろ求める。自分が気楽であるし、人の欲求を見ているのはとても面白い。残念な人と言われるだろうが、今のところ悪いとは思っていない。
ただ、もう少し気を使えるようにしていきたい。どこかの記事でもそんな風に書いた気がする。
恐らく私は真の孤独には耐えられない人間だと思う。常に家族から溢れるほどの承認を受けている(自分で言うのもなんだが)。
また、ふと暇になったときに遊ぶことのできる友人もいる。遊べないのではなく、遊ばないを選択しているだけである。
本当に孤独というわけではないのだ。多分気付いていないか、自覚したくない事実なのではないだろうか。だからこんなわがままな性格なのだと思う。すごく自分の中で自分の性格は説明しやすい。
これから何年後、何十年後先になるか分からないが、この環境がなくなることは明確である。そして、孤独に苦しむ日はいつかやってくる。薄々感づいて、美さんにも会ってきたのだろう。
だが、まあ自覚の程度は薄かった。だからこそ、今回の出会いを大切にはできなかった。
こうして少しでも書いてくことで現実と将来に向き合っていきたい。